足尾 庚申山 "コウシンソウの自生地"

庚申山概 況庚申山は足尾西部に位置する標高点1892mの山です。
 右の写真では、中央奥の山が庚申山です。
 右奥は皇海山で、庚申山と皇海山の手前に位置する山はオロ山。
 左の山はトウノ峯で、右斜面は沢入山です(写真:2009/10/12)。

庚申山 庚申山は、原始林の景観に優れた山で、初夏のツツジ、さらに岩壁山容の秋は、男性的な紅葉の景色が楽しめます。
 右の写真は庚申山荘からの展望で、眼前に展開するは、庚申山の南東面 "お山巡り"の崖です。
(右写真: 2010/10/23)

『関東の山水』 (明治四十二年出版) 大町桂月 著
"第四章 野州の山水 第二節 庚申山 (九)細尾峠の紅葉"の章
‹ 抜粋 ›
「一度見ぬ馬鹿、二度見る馬鹿」 といふ庚申山に對する俗諺あり。庚申の如き霊奇の山を一度も見ざるものは、馬鹿也。されど、危険きはまる山なれば、二度とゆくは馬鹿なりとの意也。われは、その二度見る馬鹿となりけるが、閑と錢とあらば、なほ三度見ることを辭せざる也。
(以下は、つたない解釈です)
「一度見ぬ馬鹿、二度見る馬鹿」という、庚申山にたいすることわざがあります。庚申山のような神秘的で不思議な山を一度も登ったことのない人は不幸です。しかし、この上なく危険な山だから、決して二度登ることは考えられないという意味です。わたし自身は二度登るという無鉄砲なことをしてしまったが、もし時間と金銭の都合がつけば、更に三度登ることにやぶさかでない。

♦大町桂月(オオマチケイゲツ):明治2年(1869-1925)高知市生まれの紀行作家、評論家。
♦深緑に包まれた庚申山荘

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◎ 銀山平からの登山コース ◎

(A)銀山平 ⇒ 70分 ⇒ 一の鳥居
(B)一の鳥居 ⇒ 80分 ⇒ 猿田彦神社跡
(C)庚申山荘
(D)庚申山荘 ⇒ 70分 ⇒ 庚申山

(A)銀山平 ⇒ 70分 ⇒ 一の鳥居

586*391 586*391 銀山平銀山平キャンプ場および国民宿舎 "かじか荘"のある銀山平が、登山の起点となります。
  かじか荘前の "足尾三山標柱" から "一の鳥居"までは、庚申川に沿って続く4kmほどの庚申渓谷林道を歩くことになります(上写真 ロールオーバーで写真拡大)。
(上左写真:かじか荘前の 足尾三山標柱2010/09/04)
(上右写真:舟石林道と庚申渓谷林道の交点手前の駐車場2013/05/04)
♦銀山平:明治24年に銀が採掘され、明治35年には廃石が運ばれて平地ができたので銀山平とした。銀山平には、国民宿舎、猿田彦神社、旅館、中国人殉難烈士慰霊塔 が散在する。今はキャンプ場として多くの人に利用されています。
♦銀山平キャンプ場

坑夫滝坑夫滝 坑夫滝庚申渓谷は深い崖を刻んだ急峻な地形の中を数多くの滝が連なっています。
 その中で庚申川を代表する滝といえば "坑夫滝"でしょうか。
 上の写真は現地案内板ですが、 「悲話を秘めた坑夫滝(光風の滝)」 と記されています。
 この滝にどのようなエピソードがあるのか、大変興味深いものです(上写真:2007/09/02 )。
" いにしえのことは沈黙坑夫滝 " とおる

 "坑夫滝"は樹木に隠れて林道から見えませんが、落差約7mの大滝ですので、谷底で鳴り響く音は聞こえます。
 庚申渓谷は深い谷ですので簡単には滝つぼに下りることはできません。が、無事 写真を撮ることができました(上右写真:2010/07/19)。
♦ 坑夫滝(光風の滝)

天狗の投石天狗の投石笹ミキ沢(笹見木澤)に架かる "笹美木橋" を渡ると間もなくして "天狗の投石(なげいし)" です(右写真:2011/05/15)。
 庚申講登山時代から知られていたそうなので、銅山廃石の堆積場跡ではなさそうです。
 この場所だけ大きな岩が転がるという説明のつかない現象には、天狗の仕業と言うことにいたしましょう。
 また、長い間の植物の侵出により、岩の占める面積が縮小してきていると感じられます(まったくの私見ですが)。
 そう言うわけで庚申講登山時代の"天狗の投石"は、今よりも迫力のある光景が広がっていたのかもしれません。

天狗の投石◎アカヤシオの花咲く天狗の投石(写真:2011/05/15)
 苔むした大きな岩が転がる "天狗の投石" を右に見て進めば、間もなく "一の鳥居"です。

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(B) 一の鳥居 ⇒ 80分 ⇒ 猿田彦神社跡

これより庚申山入口碑七滝看板庚申七滝林道の終点には、"庚申七滝"という連瀑があり、登山者達を出迎えてくれます。遊歩道がありますが、破損箇所があるので一部通行不可能です。庚申山講者の人達が参詣の途中で、禊(みそぎ)をしたり、休息したり、滝の水を飲んだりしたそうです(上写真:2012/07/18)。
♦かつて七段の滝と呼ばれていた庚申七滝

一の鳥居庚申七滝の手前に "一の鳥居"があり、鳥居の脇に道しるべが建っています(右写真:2011/05/15)。
 道しるべ正面には "従是庚申山入口 行程十八丁"、側面に "明治四十二年九月五日建之"と、文字が刻まれています。
 "一の鳥居"からは林道を離れて水ノ面沢沿いの参道を、江戸講中の人たちが建てた丁石を道しるべに進みます。沢の音を聞きながら、木洩れ日のなかを気持ち良く歩ける山道です。
♦庚申山講:庚申山に登山し猿田彦神社に参詣する信仰団体をいう。
♦従是庚申山入口行程十八丁:これより庚申山参道入口猿田彦神社までの道のり2km

水ノ面沢沿いの参道◎水ノ面沢沿いの山道(写真:2013/10/29)
♦沢沿いの滝

水ノ面沢◎セミの合唱が響く水ノ面沢の風景(写真:2017/06/05)
 この季節、エゾハルゼミの鳴き声が耳が痛くなるほど響きます。
エゾハルゼミの合唱「ケ・ケ・ケ・ケ・ケ」。カエルの合唱ではありません。
上写真をマウスでロールオーバした時の写真はエゾハルゼミ

百丁目◎水ノ面沢の風景(写真:2010/06/11)
 写真の右端に百丁目を示す丁石が写っています。百丁目丁石を過ぎれば "孝子別れの場" の言い伝えのある "鏡岩" にたどり着きます。

鏡岩鏡岩(かがみいわ)孝子別れの場の言い伝えのある"鏡岩"に出ました(右写真:2013/10/29)。
 鏡岩の下には案内板があり、猿と父親の約束を果たすため、泣く泣く猿のもとへ嫁いだ娘の話が書かれています。
 そのほか、鏡岩にまつわる伝説があります。「ある武士が従者を従えここを通りかかると、火の雨が降ってきたので、この岩の下にかがみ込んで難を避けたので、蹲踞(かがみ)岩と名付けられた」というお話です。

鏡岩◎鏡岩(写真:2011/05/15)
 写真をマウスでロールオーバした時の写真は現地案内板。
 ここからは、少し急な登りになります。

夫婦蛙岩と庚申川のヒキガエル 夫婦蛙岩(めおとかえるいわ)
 一ノ鳥居から庚申山荘までの水ノ面沢沿いの参道には、
"鏡岩"⇐8分⇒"夫婦蛙岩"
⇐10分⇒"仁王門" と呼ばれる岩があります。
 右の写真は"夫婦蛙岩"と呼ばれている岩です(写真:2011/05/15)。
 写真をロールオーバした時の写真は、庚申川の渓流釣りでのスナップ写真ですが、ヘビがとぐろを巻いているものと勘違いして、一瞬ぎょっとなりました。
(マウスロールオーバ写真:2017/05/03 ヒキガエルの 抱_接)
♦ヒキガエル(ガマガエル・イボガエル): 在来種の中では最大級。ゴツゴツした皮膚と赤茶色のまだら模様が特徴。目の後ろにある耳腺から毒液が飛び出し、敵の目や口に入って苦しめる。

仁王門 仁王門水ノ面沢沿いの参道に点在する丁石やモニュメント岩の存在は、息を切らして登る庚申山講者にとって、心強い水先案内人の役を担うものだったのでしょう。
 その中の一つ "仁王門"に到着しました。左右二つの大岩ですが、守護神としての風格は十分備えた大岩です(写真:2010/07/19)。
 "仁王門"の岩をすぎ、しばらく行くと、青銅の剣のある二ノ鳥居、猿田彦神社跡に着きます。

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猿田彦神社跡の石段下に着きました磐裂神杜から114丁離れた神社跡の石垣の前には、到着地を示す "百十四丁目"の丁石が、苔むした状態ですが現存しています。

旧猿田彦神社跡の階段下 ◎ 猿田彦神社跡石段下の風景(写真:2013/06/10)
 写真左側に "勝道上人・大忍坊"の石碑と "百十四丁目"丁石があります。石段奥の開けたところが猿田彦神社跡です。

大忍坊  ◎ 猿田彦神社跡石垣下の風景(上左右写真:2011/05/15)
  "勝道上人・大忍坊"の石碑と "百十四丁目"の丁石が、神社跡の石垣前に苔むした状態でひっそりと佇んでいます(上左写真)。上左の写真をマウスでロールオーバした時の写真は、その石碑のアップ写真です。
 "青銅の剣" が神社跡の石段に向かって、右側に建っています。台座には "足尾銅山根利出張所"および "明治四十五年四月二十五日"と、鋳造による浮彫りで書かれています(上右写真)。
♦勝道上人:上人が庚申山を開いたのは767年の秋33歳の時で、奥の院の洞窟に青面金剛と猿田彦命をまつり、この山を庚申山と命名した。
♦庚午の大獄:大忍坊と雲井龍雄が庚申山社務所で密議をこらし、全国の同志を総決起させる秘策を練ったが、事前に発覚し捕らえられ斬首刑となった。
♦114丁目丁石:庚申山登拝の出発点にあたる磐裂神杜から、114丁離れた神社跡前に建つ、到着地を示す丁石。
♦青銅の剣:高さは約2mあり、台座には鋳造による浮彫りで "足尾銅山根利出張所"および奉納者の名前が記されている

♦ 銅山を支えた根利山の資源 ♦
 かつて、足尾の町に隣接する皇海山の麓に40年間だけ存在した集落があった。(省略)
 栃木県と群馬県の県境には、深田久弥が「日本百名山」のひとつに選んだ標高2143メートルの皇海山がそびえている。根利(ねり)山はその西麓一帯の通称である。(省略)
 明治31年(1898)、その群馬県根利郡赤城村砥沢(とざわ)に古河の根利林業所が開設された。(省略)
 根利林業所の主要目的は、山奥から伐採した用材を足尾・小滝地区にある銀山平製材所まで県境の山々を越えて運搬することであった。その手段としては、すでに足尾で敷設して手慣れている索道(空中ケーブル)輸送を選択することとし、(省略)
 明治35年の開設当時は銀山平から六林班峠の群馬県側にある権兵衛までで、37年に砥沢まで延長された。(省略)
 根利山での伐採が終るのは昭和13 (1938) 年で、その翌年、林業所は閉鎖された。
小野崎敏『小野崎一徳写真帖 足尾銅山』 からの抜粋

586*391猿田彦神社跡石段を上れば神社跡です。左へ行くと0.2kmで庚申山荘、右へ行くとお山巡りコースで庚申山まで2.4kmの道のりがあります。
(右写真:ロールオーバーで写真拡大)
 下の写真は、猿田彦神社跡です。各種案内板、石碑が、訪れた登山者たちを静かに迎え入れてくれます。

旧猿田彦神社跡 ◎ 猿田彦神社跡の風景(写真:2010/10/23)

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(C) 庚申山荘

庚申山荘庚申山荘 庚申山荘山荘は昭和60年(1985)に建てられました。右の写真は皆さんお馴染の正面から撮影した山荘、左の写真は裏側から撮った山荘です(左右写真:2008/6/14)。

庚申山荘クリンソウと庚申山荘 山荘の収容人員は約60名ですが、緊急避難施設の為、管理者は常駐していません。したがって、素泊まりのみの利用に限られますが、水・布団・トイレの設備は完備されています(右写真:2013/10/29)(左写真:山荘裏に咲くクリンソウ2015/06/07)。
♦庚申山荘:標高1550mに位置し、外装は杉丸太の木造二階建て。
内装は、広間(15畳) • 管理人室 • 炊事室 • 収容人員、宿泊室(収容人員38人⁄3室)。
オープン、昭和61年(1986)4月。

庚申山荘◎庚申山荘(写真:2010/10/23)

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(D)庚申山荘 ⇒ 70分 ⇒ 庚申山

 山頂へは "庚申山荘" を左に見ながら登山道を進みます。間もなくして水場に到着します。背後の岩壁の下部には、えぐり取られたような窪みがあります。岩壁群を右側に見ながら進むと、 "裏見の滝" に出ます。いよいよ クサリ場、ハシゴの連続する急登が始まります。

初の門初の門初の門通路の左右に石柱があり、さらには天井のあるこの岩には "門" のつく名称、 "初の門" がぴったりです。
 しかし、この門は登山道の左側にあるので、うっかり直進すると、門を潜らずに通過してしまう恐れがあります(左右写真:2010/06/11)。
♦ "初の門"からクサリ場が続きます

一の門一の門一の門
  ボンテン岩を過ぎると間もなく正面に "一の門" が見えてきます。右の写真で登山者の背丈と門高を比較すると、"一の門"の大きさが分かるかと思います。
(左写真:2010/06/11)(右写真:2010/10/23)
♦ "一の門" と "かえるの番人"

分岐点分岐点この分岐点で "お山巡りコース"と合流します。
(右写真:2008/06/14)
 つまり、直登すれば庚申山山頂、右に折れて進めば "めがね岩"などのある "お山巡りのみち"経由で、猿田彦神社跡に戻ることができます。
  ⇒ お山巡りのみちへ

 サァー、先を急ぐことにしましょう。この直ぐ上が "大胎内"です。

大胎内大胎内大胎内登山道の右に位置する "大胎内" の中をチョット覗いて見てみましょう。腹ばいで、くぐり抜けると、崖崩れのため使われなくなった鉄梯子が見えます。この事から、かつては大胎内経由での、 "お山巡りコース" が存在したと思われます。現在は大胎内下の登山道が、お山巡りのコースです(上左写真:2010/06/11) (上右写真:2010/10/23)。
 岩場の続く急な坂道を抜けて、コメツガの樹林帯を進めば山頂に着きます。

庚申山山頂庚申山頂右の写真は、庚申山の山頂です。眺望は樹木にさえぎられ、あまり芳しくありません(右写真:2008/06/14)。
 山頂から西へさらに2〜3分ほど進むと、下の写真のような展望が開けてきます。
 下の写真で最も存在感のある山が皇海山(2144m)で、その左は鋸山(1998m)です。雲にまぎれて見えにくいですが最遠景に白根山、同じく右遠景に太郎山、男体山と、山並が続きます。

庚申山山頂からの展望◎庚申山の展望台から(写真:2008/06/14)

◎庚申山の展望台から(写真:2008/06/14)
 ここからは、皇海山までの縦走コースを見渡すことができます。写真手前から奥に延びた尾根の先端が鋸山です(遠景左のピーク)。鋸山から右に分岐した尾根の鞍部が不動沢のコル、そして皇海山(2144m)がそびえています。また鋸山から左に分岐した尾根上には六林班峠があり、袈裟丸山へ続きます。
 ♦ 庚申山の展望台から

‹ 現地案内板の一部抜粋 ›
庚申山は近くの袈裟丸山と同時期に火山活動をしていたものと推定されています。噴出物は、安山岩質、凝灰角礫岩が主で庚申山頂から南東方面に広く分布しています。安山岩は火成岩の一種で地下の溶解したマグマが地表で固まって出来た岩石で塊状となります。この附近ではミズナラ、シラカンバ、ゴヨウマツ、山頂附近はアオモリトドマツの自然林です。特別天然記念物に指定されているコウシンソウの名はここの地名をとっています。みなさん、植物をとったり、傷つけないで下さい。火気には特に注意し、山火事をおこさないようにご協力下さい。環境庁 栃木県

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◎ 庚申山よもやま話 ◎

(1)猿田彦大神/庚申山荘
(2)天下の見晴らし
(3)丁石が現存する参道
(4)庚申山に咲く花
(5)水ノ面沢の滝
(6)オトシブミという名の昆虫

(1)猿田彦大神/庚申山荘

猿田彦大神猿田彦大神猿田彦大神
 庚申山荘のロビーの一角にある小祠が、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の本殿です
(左写真:2010/06/11)。
 向かって右側にある掛け軸には、三神が描かれています。掛け軸には、猿田彦大神が上方中央で榊(さかき)の枝を持ち、雲の上に立っている姿が描かれています。右下の大国主は、矛を持ち立ち、左下の少彦名は、薬壺を持ち座しています。
(右写真:2010/06/11)

‹ 現地案内書の抜粋 ›
庚申山山荘 護摩法要のご案内
毎年Ο月とΟ月の第三日曜日の朝Ο時より山荘内にて、六檀護摩法要を厳修しております。秘仏であるご神体のご開帳もいたしますので、ご縁のある方は是非ご参拝下さい。ご神体猿田彦大神は、天孫族の道案内として神話の中に登場する故に、道祖神として旅行の安全をお祈りしたり、寿命の長久や縁結びなども司ります。

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庚申山荘春から秋の季節を背景に、山荘を写しました。

庚申山荘◎木々が芽吹く春の山(写真:5月15日)

庚申山荘◎青葉で覆われた庚申山荘(写真:6月11日)

庚申山荘◎深緑に包まれた庚申山荘(写真:7月19日)

庚申山荘◎澄みきった秋空を背景に庚申山荘(写真:10月23日)

庚申山荘◎秋が深まるにつれ寂しさの増す樹木の中で(写真:10月29日)

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(2)天下の見晴らし

樹海天下見晴台天下の見晴らし
  庚申山を眺めるには、"天下の見晴らし"がお勧めです。山荘から0.7km南下した所にある尾根の鎖場の岩を登りきると、そこが天下の見晴らしです。このピーク(標高1500m)には、上左写真のように大きな岩が鎮座しています。
 山荘とほぼ同じ標高のこのピークからは360度の展望が開け、遠くから、そして周りから押し寄せる樹海の大波小波に、圧倒されます(上右写真)。
(上左右写真: 2010/07/19) 

庚申山 その "天下の見晴らし" と名づけられた展望の良い頂上から撮影した庚申山が右の写真です。
 手前左の山は、"銀峯(1681m)" という馴染みの薄い山ですが、秋に織り成す岩壁と紅葉の景色は、男性的な足尾の秋色を演出します(上写真:2010/07/19)。

天下の見晴らし左 "銀峯(1681m)"  右 "庚申山" (写真:2010/10/23)
♦庚申山とアカヤシオ

天下の見晴らしからの眺望天下の見晴らしからの眺望(写真:2010/10/23)

天下の見晴らしからの眺望天下の見晴らしからの眺望(写真:2010/10/23)

天下の見晴らしからの眺望天下の見晴らしからの眺望(写真:2010/10/23)
♦男性的な足尾の秋景色

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(3)丁石(ちょういし) が現存する参道

道標旧猿田彦神社跡丁石江戸講中の人たちが建てた "丁石"の一部が、今も登山道に現存しています。右写真の場所は、磐裂(いわさく)神杜からちょうど百丁目の地点にあたり、丁石も健在です。現地案内板によりますと、磐裂神杜から庚申山までは、114丁(旧道)の距離があり、この丁石は文久3年(1863)の建立だそうです(右写真:2008/06/14)。
 庚申山まで114丁の距離とは言っても、庚申山講者の目的は、山内の岩場を巡り、神社に参詣することですので、旧猿田彦神社跡が、「百十四丁目」に当たります(左写真:2008/06/14)。
 歩いた距離を指し示すこれら丁石の存在は、きびしい水ノ面沢(みずのつらさわ) 沿いの山道を、息を切らして登る庚申山講者にとって、心強い水先案内人の役を担うものだったのでしょう。
♦丁石(ちょういし):昔、道しるべとして用いられ、1丁(約109m)の間隔を置いて立てられた。
♦庚申山講:庚申山に登山し猿田彦神社に参詣する信仰団体を言う。

‹ 現地案内板の一部抜粋 ›
庚申山猿田彦神社 : 猿田彦神社は拝殿と各部屋を構えた100余坪の平家建てでありましたが、昭和21年4月に焼失してしまいました。

丁石丁石一丁目丁石左の写真は、遠下の磐裂神杜に建立された「一丁目」の丁石で、庚申山登拝の出発点にあたります。この丁石は江戸時代末期、文久3年(1863)4月8日に建立されたものです(左写真:2008/8/12)。
百十四丁目丁石磐裂神杜から114丁離れた猿田彦神社跡には、到着地を示す「百十四丁目」の丁石が、神社跡の石垣の前に、苔むした状態ですが現存しています(上右写真:2010/10/23)。
♦登拝起点の磐裂神杜に「一丁目」の丁石が存在すると言うことは、猿田彦神社跡までの実質距離は 114丁目−1丁目=113丁となるのでしょうね。
♦磐裂神杜から庚申山猿田彦神社跡までの距離 百十四丁(旧道)とは、どのくらいですか?
  1丁≒109mですから114丁=12.4kmと、なります。
  [ためしに電子国土地図上で、計測してみました]
  その結果は、計測距離=11.6km(高低差無視)となりました。
旧道と新道の違いはありますが、ほぼ一致と言っても良さそうです。庚申山の山中に設置された丁石は、大変信頼できる道標だったのですね。

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(4)庚申山に咲く花 / ユキワリソウ クリンソウ コウシンソウ

ユキワリソウユキワリソウお山巡りのみち途中にある衝立岩にはユキワリソウが所狭しと咲いています。一つひとつの花は可憐ですが沢山の花数のため、黒い岩壁は紫に染まり今年も華やかな岩壁になりました。
 右写真ではアップ撮影のため群生表現が今一つでした(写真:2008/06/14)。
♦ユキワリソウ : サクラソウ科の多年草で高山の湿った岩場に生える。花は淡紅紫色で直径1cmほど、葉はへら状で多数根生。
♦雪割草 : 上記のユキワリソウと同じ名前でも、まったく異なるオオミスミソウと呼ばれるキンポウゲ科ミスミソウ属の植物。多彩な花色、多くの花形の変異があり、新しい花づくりを楽しむ愛好家も多い。
♦岩場に咲くユキワリソウ

クリンソウクリンソウ庚申山荘の裏と、猿田彦神社跡の二ヶ所で自生しています。山荘裏も神社跡も真紅一色のクリンソウの群生です。その為、一見するとヒガンバナ(彼岸花)の群生を連想させられます(上写真:庚申山荘の裏にて2010/06/11)。
♦クリンソウ(九輪草):花色は、ピンクや白などの変種が知られていますが、基本種の花色は庚申山で群生している濃い紅色です。
♦真紅一色のクリンソウ

クリンソウユキワリソウ 庚申山に自生するクリンソウもユキワリソウも、サクラソウ科サクラソウ属の多年草です。
 しかしクリンソウは草地に生えて、高さは40cmほどに生長しサクラソウの中では大型の部類に属しますが、ユキワリソウは岩場に自生し、高さも10cmほどしか生長しません。このように生息場所も大きさも異なりますが、どちらも亜高山帯の人目に付きにくい場所で、ひっそりと咲いています。
(左写真:2010/06/11 ユキワリソウ) (右写真:2008/06/14 クリンソウ)

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コウシンソウコウシンソウコウシンソウ自然に恵まれた足尾は植物の宝庫といえるでしょう。その中でも国の特別天然記念物に指定されているコウシンソウは足尾を代表する植物といえます。
 しかし、国の植物レッドデータブックで「絶滅危惧II類(VU) Vulnerable」に指定される程、絶滅の危険が増大している植物なのです(上左写真:2011/06/20)(上右写真:2008/06/14)。

コウシンソウコウシンソウ 庚申山は原生林の豊かな山ですが、コウシンソウの生育地は垂直な岩壁ですので、崖崩れや落石などによる自生地の自然崩壊の懸念がつねにあります(上左右写真:2010/06/11)。

コウシンソウ 更には撮影、観賞、観察時の周辺環境破壊も考えられます。コウシンソウ自生地を厳重に保護し、今後もコウシンソウを守りましょう。
 写真は岩壁で人知れず咲くコウシンソウ(写真:2011/06/20)。

♦ コウシンソウ
 ◊ 明治23年 三好学博士 庚申山で発見
 ◊ 大正11年 天然記念物に指定
 ◊ 昭和27年 特別天然記念物に指定
 ◊ 昭和53年 自然保護シリーズ記念切手第19集の画題に選ばれ50円切手発行
 ◊ 昭和57年 足尾町の花に制定

♦垂直な崖で咲くコウシンソウ

コウシンソウ郵便切手「コウシンソウ」郵便切手
♦発行日:昭和53年6月8日
♦種類:50円郵便切手
♦意匠:コウシンソウ
♦印面寸法:縦35.5mm 横25mm
♦版式刷色:グラビア3色
  (明るい緑味青、にぶ紫、黄色)
 凹版1色(こい紫味青)
♦原画作者:大塚 均(図案家)
♦発行枚数:30,000,000枚
‹ 初日カバー(FDC)より抜粋 ›

陶壁のコウシンソウ 陶壁のコウシンソウ中学校の外壁
  渡良瀬川左岸の向原にある足尾中学校の外壁はコウシンソウデザインの陶壁で出来ています。
(左写真:2008/10/25) (右写真:2009/05/03)

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(5)水ノ面沢の滝

幾段にもなって流れ落ちる "水ノ面沢" の滝に、登山者の心は いやされ、疲れも吹っ飛びます。
♦二条になって落ちる滝
♦二条になって落ちる滝

水ノ面沢の滝岩が重なり淵や落ち込みの続く渓流(写真:2013/08/28)

水ノ面沢の滝滝落ちてまた滝落ちて流れ来る(写真:2013/10/29)

水ノ面沢の滝夏の日・秋の日(庚申七滝) (左:2012/07/18)(右:2013/10/29)

庚申七滝深緑に包まれた庚申七滝(写真:2013/08/28)

水ノ面沢の滝葉を落とした樹林の中を流れる(写真:2013/10/29)

水ノ面沢の滝複雑な流れのダイナミックな滝(写真:2013/10/29)

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(6)" 落とし文 " という名の昆虫

オトシブミ仁田元林道にて秋の気配がただよい始めた9月の林道を歩いているときのことでした。
 道ばたの石の上で日なたぼっこをする1匹の昆虫に遭遇したのです。体長1cm位の昆虫ですが名前は分かりません。帰宅して調べたところでは、オトシブミという名の甲虫のようです。
 来年(2010年)の初夏には、オトシブミの卵を持ち帰って羽化するまでを観察してみましょう(写真:2009/09/17 仁田元にて)。
♦ オトシブミ(落とし文): 初夏に樹木の葉を左右二つに折り畳んで葉先から2回転ほど巻いて、これに穴をあけて卵を産みつける。さらに巻き上げて巻紙の手紙に似た巣(揺籃)を作る。この揺籃の形が、" 落とし文 "の形に似ていたことが名前の由来とか。幼虫は揺籃を食べて、その中で蛹(さなぎ)になり羽化する。

揺籃庚申渓谷林道にて2010年の初夏になりました。さっそく"落とし文"を拾いに行きましょう。
 銀山平から一の鳥居までの林道と、そこから水ノ面沢に沿った登山道にかけて、それは落ちていました。今迄もこの季節のこの道には多くの揺籃が落ちていた筈なのに、何度となく歩いたこの季節のこの道なのに、今まで気づかずに通り過ぎていたなんてアーァ (-_-;)。
 揺籃の大きさは直径1cm、長さ2〜3cmくらいです。
(写真:2010/06/11 揺籃)
♦ 落とし文(おとしぶみ):おおっぴらには言えない事柄を、自然に人が読んでくれることを期待して、人目につきやすい道路などに落としておく文書。
♦ 揺籃(ようらん) : 「ゆりかご」の漢語的表現。ここでは、卵の入った葉巻の筒のこと。

揺籃オトシブミ自宅にて持ち帰った揺籃を適度な湿度に保っておくと15日目から羽化が始まった。
 右写真のように揺籃の外壁に穴をあけ、左写真の虫が出てきた。確かに揺籃はオトシブミが成長するまでの衣・食・住でした。
(左写真:2010/06/28 腕の上を歩くオトシブミ)
(右写真:2010/06/27 住人?の居なくなった揺籃)
" 落し文地球の明日を託しけり " とおる
 ( おとしぶみ ちきゅうのあすを たくしけり )

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◎ 本ページの作成に当っては下記文献、Webページを参考にさせていただきました。記して深謝申しあげます。
  • 岡田敏夫(1988)『足尾山塊の山』白山書房
  • 小野崎敏(2007)『足尾銅山物語』新樹社
  • 増田宏(2008)『皇海山と足尾山塊』白山書房
  • 『オトシブミの国』http://www.d1.dion.ne.jp/~k_izawa/otoshibumi.htm

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